All this time

文字がいっぱい!

バカになろうぜ!

最近わかったが、TwitterYouTubeのショート動画は人をバカにする。


文字がメインでエンタメ事件に溢れてるTwitterと、スワイプすれざ次から次に流れて終わりがないショート動画。
私は思考が良くない方向に進んでいたり、頭の中の声がうるさくて仕方がなかったり、うつで逃げ出したくて仕方がなかったりするときにTwitterYouTubeのショート動画を見る。


ちなみに私はTwitterのことをXなんて呼んでやらない。ポストはツイート。リポストはリツイート。おすすめ欄は、正直フォローするまでもない人の伸びてるツイートが流れてきて便利だから許す。でも伏せ字してる2次創作流してくるのはやめてあげてほしい。

 

開けばすぐに意味があるのかも分からない情報に思考がかき回される。脳内でのひとりずもうよりも、視覚から入った情報の処理にリソースを割くのだ。そうするだけで、あんなにうるさかった頭の中の有象無象が押しつぶされる。
何も考えなくて済むからいい。考える行為は誰もができるもので、人間を支配者たらしめる有益なものであるが、思考のせいで私の精神は雁字搦めになっている。
考えることを止めたら楽になるのだろうか、と考えたが、そんなことを考える時点でダメだ。考えることを止める気が無い。
スワイプ、スワイプ。


私はTwitterではあまり発信しない。情報収集用垢と好きソシャゲの萌え語り垢しかない。
前者の垢は誰とも会話せず気楽に、それこそ日記感覚で適当につぶやいている。後者もオタ垢のくせして誰とも絡まず、ただひたすらに萌えを受け止め出力する、小学校のグラウンドの端にある大きめの石をひっくりかえしたら出てくるタイプの虫みたいなアカウントだ。
Twitterにもいろいろ界隈がある。
でもそれには属さない。つかず離れずで眺めるだけだ。ヲチ、といえば分かりやすいが本当にただ見てるだけだ。特定個人を見ているわけじゃない。トレンドから辿って、いまTwitterで何がアツいのか把握するのが好きだ。Twitter上で起きたあれこれに異様に詳しい、虫タイプのオタクだ。
トレンドワードを入れるだけで、これまで何の繋がりもなかった個人のツイートを見ることができる。私の意識の中で存在していなかったはずの誰かが私の意識に入り込む。この世界で私が知っている人なんてほんの少しで、もっとたくさんの自我を持った人が生きている。
それだけで、なんだか社会と繋がっている感覚がある。誰とも会話してないくせに、Twitterを開けば情報に脳をかき回されてバカになれるし、自ら発信しなくとも更に社会とのつながりも感じることができる。なんて恐ろしいSNS。完璧だ。


ネットは広大だわ、と草薙素子は言ったけれど、その広大なネットの中にコミュニティはあるのだろうか。ネットに生きた人間が加わることで人間同士がコミュニティを作る。ネット自体はコミュニティを作らない。
社会との繋がり/繋がれてる感を得るためにTwitter、ひいてはインターネットをしているので、ネットの中にコミュニティがないと少々キツい。でも私だってネットと一体化してみたい。そしてなりたい、草薙素子に(私は押井守版の攻殻機動隊しか知らないが)。

ゴーストはその人をその人たらしめるもので、ゴーストがあればその人は生きていると同じだ。なら、Twitterを見ているときの私のゴーストはどこにあるのだろう。ショート動画を見ているときの私のゴーストは。
意味があるのか、必要なのかもわからない情報の波に溺れ、それに溺れることで安心感を得る。安心感を得られるということは、まあゴーストもあるのだろう。傍から見たらただの依存症だが、実はゴーストをつなぎとめる重要な行為かもしれない。思考を雁字搦めにするのはゴースト。それから逃げるために情報の波に溺れて安心感を得る。これもゴーストがある。
死んだようにTwitterしか見れない、ショート動画しか見れない日もあるが、その行為にはゴーストがある。魂は燃えているのだ。
だからそんな日があってもいい。ゴーストは多分何にでも付き合ってくれる。ゴーストは精神肉体ともに死ぬでもしない限りくっついてくる。
ならもういいや。ネットは広大だし、広大だから怖いけど広大だから頭をバカにできる。でもたとえどんなにバカになってもゴーストはここにある。なら大丈夫だ。