All this time

文字がいっぱい!

私は吸われて萎びて死ぬ

中学生が怖い。生のエネルギーに満ち溢れているから。

キャイキャイ騒ぐ声を聞いていると、私のなけなしのエネルギーまで吸われていく気がする。

吸われて吸われて、残った私の欠片は萎びてカサついて気持ちが悪い。

気持ちが悪いもので構成された私はエネルギーを高純度で浴びると死んでしまう身体であるらしい。エネルギーに恋い焦がれ、けれどエネルギーに近づきすぎると死んでしまう。

 

イカロスの翼。

太陽に焦がれ、太陽に向かって飛び、太陽に近づきすぎて翼の溶けたイカロス。

破滅願望。

きっとイカロスは気づいていたと思う。太陽に近づきすぎると死ぬって。それでも近づいてしまうのは、太陽の誘惑。あまりにも魅力的であまりにも破滅的な、太陽の誘惑。

私はきっといつか太陽に焦がれて死んでしまう。

漠然、呆然、加熱式の魂

漠然と生きるのがしんどいなーと思う。

何がしんどいとかじゃなくて、漠然とただ思う。

キシ念慮と自殺願望の違いと同じだ。具体的じゃない。キシ念慮のほうのしんどい。

動くのが億劫で、ただただ脳みそだけが無駄に回転する。

歯車が噛み合ってないからただただ空回り。

いいことなんて何も思いつかない。悪いことだって思いつかない。

凪のような無を考え続ける。

それが心地良いわけじゃない。

けれどそれをし続けなければ私が死んでしまう気がして、私はそれをし続ける。

私はいつかこの思考の波に囚われて死ぬんだろうなーと思う。

 

死ぬなら静かに死にたいなーと思う。

けれど人間楽に死ねるのはほんの一握りで、殆どの人は苦しんで死ぬ。

私は多分、後者だろう。

一般的な人間になれなかったけれど、そういうところは一般的になりそうな予感がする。

 

私が人と違うところ。

それは常に死を間近に感じているところだと思う。

車が高速で行き交う車道を前にすれば「ここに飛び込んだら死ぬから飛び込んだらだめだなー」、電車のホームでは「ここは大抵の電車が止まるから上手くやらないと死にきれないなー」、歩道橋では「このまま階段から転がり落ちるのは死ににくいだろうし、上から車道に落ちるのが一番だなー」なんて考える。

たぶん、中学生の頃から考えていた。

これが自殺願望なのか、危険なことをやりそうになってしまう強迫観念なのかはわからない。

ただずっとそんなことを考えていたおかげで自然と死について考えを巡らす時間は多い。

 

死は、未来を無くすから嫌い。あるかもしれなかった、できるかもしれなかった出来事全部の可能性を潰す。

誰かが死んで悲しいのは、その人との未来を失ったから。

そう考えると、もう未来なんて希望が持てない自分に死は相応しいのではないだろうか。

私が死んでいないのは、私の周囲に私が死んで私との未来を失うことを嫌う人がいるから。ありがたいことに、環境には恵まれている。

恵まれていないのは、健全なセロトニン分泌。足りない。幸せが足りない。もっと満たされたい。

こんな、こんなお病気だらけな人生、いらない。

あの頃には戻れない。何も知らなかった日々。胸を刺す衝撃(キラメキ)を浴びてしまったから。

薬飲んでいるはずなのに、異常にダウナーだ。これは頓服で飲んだロラペザムの影響なのだろうか。
効いているのか正直わからない。相変わらず人の視線は怖いし、頭は回らないしやる気は出ない。
暗い、落ち着いているがオタク的ダウナーの使い方だと思うが、私の今の状態であるダウナーは辞書通り周囲をも暗くさせるダウナーだ。暗い。暗すぎる。
こんなときはキラメキを摂取しなければならない。よし、少女歌劇レヴュースタァライトを食べよう。残念ながら今は出先なためアニメは見れない。仕方ない、曲だけ聞こう。
ちなみに私はアニメと劇場版しか見てない。.5は沼りそうなので逃げている最中だ。
だからこんなキラメキを感じたいときに真っ先に思い浮かぶ曲。

それは……星のダイアローグだ。

このくるくる変わる展開は少女たちが何度もがむしゃらに進み続けるスタァライトにぴったりだ。
この曲で好きな歌詞がある。あの頃には……

 

アニメを見終わって、しみじみと聞いていたときにこの歌詞が刺さった。
私も少女歌劇レヴュースタァライトを知らなかった頃には戻れないかも………。だって、キラメキ知っちゃったもん………………………。

 

歌劇少女だけでなく、オタクどものお気持ちも乗せてくるくると歌いあげられる星のダイアローグ。名曲。

いま聞きながらこれを書いたが、かなりキラメけた。

でもまだ足りない。


次は生き様がキラメキすぎて恐ろしさまであるあの女がフルスロットルで歌い上げるこの曲。


誇りと驕り

 

あ〜〜〜〜〜天堂真矢様〜〜〜〜〜〜〜😍😍😍😍😍😍
私、天堂真矢様のオタクしたい。二次元と三次元の関係性じゃなくて、同じ次元で。
天堂真矢が出演する舞台は鬼発券して見せ場のシーンでは0ズレな位置に毎公演座りたい。バミリを把握したい。でも真矢様ってグラミュ常連だよね、そうなったらなかなか金がかかる。

でも天堂真矢様ってどんなにお金積んでも後悔できないくらい輝いてるの〜〜〜〜〜〜〜😍😍😍😍😍😍😍

天堂真矢ガッツ、頑張ります!
まあ、そんな真矢様の視線の先には常に西條クロディーヌさんがいらっしゃるんですけどね……。


この曲、天堂真矢が主席でトップスタァである説得力がすごい。声優さんが半端ない。愛城ちゃんのこと応援してたけど歌いだしてからはその力量差に「あ……なんかごめん………」ってなったもん。

そりゃもちろん愛城華恋さんも歌上手い。どうしてキャラ声維持したままこんなに歌えるのだろう。私は地声ですら歌えないというのに…。


スターディバインはフィナーレが好きだ。
天堂真矢と西條クロディーヌの意志の強さがたまらん。2番のクロちゃんパート、全生徒だけVer.とは歌詞が違う。それがまたいい。
まばたきもできないこの瞳はそらせないぶつかり合ってもあなたのこと信じてる
これってさあ、クロと真矢の関係性を言ってるってコト!?!?!?
……失礼しました、キラメキを得るはずだったのがトキメキを得てしまいました。真矢=キラメキ、クロ=キラメキなのに真矢クロ=トキメキなのバグ。まあ、私が百合豚なだけなのですが……。
クロちゃん役の相羽あいなさんのことはバンドリを少しだけ齧ったため存じ上げている。
歌がうますぎる。
しかも元プロレスラー。私は海外女子プロレスラ選手にめろっているため、好きな声の声優が元プロレスラーという事実だけでめろれる異常者だ。
富田麻帆さんと相羽あいなさんもどちらも説得力がべらぼうに高いのだ。そもそもこのコンテンツはみんな歌がめちゃくちゃ上手いが、なかでもふたりの歌声は説得力がある。

すごい。少女歌劇レヴュースタァライトはすごい。もうこの作品を知らなかった頃には戻れない。胸を刺す衝撃(キラメキ)を浴びてしまったから……。

バカになろうぜ!

最近わかったが、TwitterYouTubeのショート動画は人をバカにする。


文字がメインでエンタメ事件に溢れてるTwitterと、スワイプすれざ次から次に流れて終わりがないショート動画。
私は思考が良くない方向に進んでいたり、頭の中の声がうるさくて仕方がなかったり、うつで逃げ出したくて仕方がなかったりするときにTwitterYouTubeのショート動画を見る。


ちなみに私はTwitterのことをXなんて呼んでやらない。ポストはツイート。リポストはリツイート。おすすめ欄は、正直フォローするまでもない人の伸びてるツイートが流れてきて便利だから許す。でも伏せ字してる2次創作流してくるのはやめてあげてほしい。

 

開けばすぐに意味があるのかも分からない情報に思考がかき回される。脳内でのひとりずもうよりも、視覚から入った情報の処理にリソースを割くのだ。そうするだけで、あんなにうるさかった頭の中の有象無象が押しつぶされる。
何も考えなくて済むからいい。考える行為は誰もができるもので、人間を支配者たらしめる有益なものであるが、思考のせいで私の精神は雁字搦めになっている。
考えることを止めたら楽になるのだろうか、と考えたが、そんなことを考える時点でダメだ。考えることを止める気が無い。
スワイプ、スワイプ。


私はTwitterではあまり発信しない。情報収集用垢と好きソシャゲの萌え語り垢しかない。
前者の垢は誰とも会話せず気楽に、それこそ日記感覚で適当につぶやいている。後者もオタ垢のくせして誰とも絡まず、ただひたすらに萌えを受け止め出力する、小学校のグラウンドの端にある大きめの石をひっくりかえしたら出てくるタイプの虫みたいなアカウントだ。
Twitterにもいろいろ界隈がある。
でもそれには属さない。つかず離れずで眺めるだけだ。ヲチ、といえば分かりやすいが本当にただ見てるだけだ。特定個人を見ているわけじゃない。トレンドから辿って、いまTwitterで何がアツいのか把握するのが好きだ。Twitter上で起きたあれこれに異様に詳しい、虫タイプのオタクだ。
トレンドワードを入れるだけで、これまで何の繋がりもなかった個人のツイートを見ることができる。私の意識の中で存在していなかったはずの誰かが私の意識に入り込む。この世界で私が知っている人なんてほんの少しで、もっとたくさんの自我を持った人が生きている。
それだけで、なんだか社会と繋がっている感覚がある。誰とも会話してないくせに、Twitterを開けば情報に脳をかき回されてバカになれるし、自ら発信しなくとも更に社会とのつながりも感じることができる。なんて恐ろしいSNS。完璧だ。


ネットは広大だわ、と草薙素子は言ったけれど、その広大なネットの中にコミュニティはあるのだろうか。ネットに生きた人間が加わることで人間同士がコミュニティを作る。ネット自体はコミュニティを作らない。
社会との繋がり/繋がれてる感を得るためにTwitter、ひいてはインターネットをしているので、ネットの中にコミュニティがないと少々キツい。でも私だってネットと一体化してみたい。そしてなりたい、草薙素子に(私は押井守版の攻殻機動隊しか知らないが)。

ゴーストはその人をその人たらしめるもので、ゴーストがあればその人は生きていると同じだ。なら、Twitterを見ているときの私のゴーストはどこにあるのだろう。ショート動画を見ているときの私のゴーストは。
意味があるのか、必要なのかもわからない情報の波に溺れ、それに溺れることで安心感を得る。安心感を得られるということは、まあゴーストもあるのだろう。傍から見たらただの依存症だが、実はゴーストをつなぎとめる重要な行為かもしれない。思考を雁字搦めにするのはゴースト。それから逃げるために情報の波に溺れて安心感を得る。これもゴーストがある。
死んだようにTwitterしか見れない、ショート動画しか見れない日もあるが、その行為にはゴーストがある。魂は燃えているのだ。
だからそんな日があってもいい。ゴーストは多分何にでも付き合ってくれる。ゴーストは精神肉体ともに死ぬでもしない限りくっついてくる。
ならもういいや。ネットは広大だし、広大だから怖いけど広大だから頭をバカにできる。でもたとえどんなにバカになってもゴーストはここにある。なら大丈夫だ。

眠い

レクサプロを飲みだした。

心なしか吐き気と眠気がある。

けれど私は気圧変動で同じような症状が出るため、正直これが副作用なのか判別できない。今日は軽く雨が降った。背中が痛い。

ただひとつわかることは、いままでメンヘラ文学として楽しんでいた服用日記を"読む側"ではなく、"書く側"になったことだ。

もちろんODはしない。する勇気も必要性もないからだ。

私は曖昧な不安感と焦燥感と希死念慮があるだけで、死が迫りくるような恐れは有り難いことに今は抱いていない。

以前はあったが、今はそれを抱きたくないがために精神科に行くくらいの余裕はある。

いま、布団に入ってスマホでこれを書いているのだが、のどが渇いた気がする。

のどの乾きも、たしか副作用に入っていた気がする。

私はプラセボ効果バツグンに効くタイプだから、副作用欄を見て勝手に体がそう叫んでいる気もする。でも本当に副作用の気もする。

結局、私が感じている不安感も焦燥感も希死念慮も吐き気も眠気ものどの乾きも、私の主観的なものでしかない。

私は私の物差しでしか私の感覚を測ることができない。

もしかしたら私のこの不安感は誰もが抱えているもので、誰もが抱えたまま生きていける程度のものかもしれない。

ただ単に私のキャパが小さく、そして心配症なだけかもしれない。

結局、ひとりなのだ。私のことをわかってやれるのは。

咳してもひとり、吐いてもひとり、泣いてもひとり、不安もひとり。

死ぬとき、ひとりは嫌だなあと漠然と思う。

けれど、生きている間も結局ひとりなのだ。

それなら、死ぬときも当然ひとりなのだろう。

でも、走馬灯はひとりじゃなかったらいいなあ。

走馬灯くらいは「私はひとりじゃなかった」と納得できるようなものであってほしい。

考えてみれば、走馬灯とは不思議なものだ。

今までの人生の振り返りのくせに、一度きりしか見れない。やっぱり走馬灯の最後は死ぬ瞬間のこと、走馬灯を見ている瞬間なのだろうか。

それとも幸せな思い出で終わるのだろうか。

走馬灯を見ているとき、走馬灯を見ていると自覚できるのだろうか。

私は死に興味がある。怖いからだ。抗えないからだ。死んだら、あるかもしれなかった未来が、可能性が全て無くなるからだ。

死は0ではない。死はマイナスだ。


吐き気がする。厚い布団を頭までかぶっているのに寒い。

薬の副作用なんて知らずに生きていきたかったなあと思う。

精神的な病の苦しさも辛さも私はほんの少し、ほんのほんのほんの欠片しか分からないから共感はできないが、理解することはできる。そうなんだなあと教わることはできる。

ただ、共感を伴った理解はしたくなかった。

苦しい。この程度の精神不安定でも苦しい。将来が見えなくて、不安で心臓が冷たくなる。

理解なんてしたくなかった。理解なんてせずに、心が強くて心身ともに健康で、ハツラツと太陽の似合う人間になりたかった。

それが今ではこれだ。ひきこもりのためなまっしろい筋肉を感じない体に陰鬱としたキモオタクの登場だ。

まあ、これが私だ。これが私の選んだ道で、私はハツラツ太陽人間になる道を選ばなかっただけだ。

This is me. 仕方ない。受け入れよう。

この吐き気も眠気も背中の痛みも体の重さも寒さも不安も焦りも恐怖も全部私のものだ。

私が生産して私が消費する、唯一無二のもの。

まあ、仕方がない。こうやって生きるしかないのだ、結局。

 

Girl/Boy Songが好きだ

Aphex Twinの「Girl/Boy Song」が好きだ。

m.youtube.com

 

夜、なかなか寝付けないことがある。

そういったときは音楽を聞きながら布団に入っているのだが、ある日シャッフルで流していたところこの曲が流れた。そろそろ眠れそうな、ところどころ意識が飛んでふわふわしている状態の時である。

 

大変申し訳ないが、このときが来るまでAphex Twin並びにGirl/Boy Songに大した感情は抱いていなかった。

ミーハーなサブカル(笑)オタクなので、YMOから始まり色々テクノを聞いていたときにプレイリストにぶち込んだきり正直存在を忘れていた。

 

流れ出して、数秒で異変に気づいた。

 

この曲、異様にかっこいい。

 

頭が痺れてどうにかなりそうだった。

呼吸とか血流とか鼓動とか細胞分裂とか生命維持のため身体が無意識的に行っていること全てのスピードがこの曲に噛み合って混ざり合い、脳汁ドバドバになってしまったのである。

同人誌でよくある、絶頂で頭が真っ白になってパチパチするあれ。多分あれと同じだ。

まさか音楽聞いてるだけでそんな快感を得られるなんて考えてもいなかった。これこそまさに脳イキだ。

 

約5分の脳汁ドバドバフィーバータイムが終わり、賢者タイムが訪れる。多分、結構泣いてた。

もう一度聞こうかと思ったが、せっかくの体験をすぐさま上書きしたくない、そんなことするのは無粋だろう、とイヤホンを外した。

スマホを見ると、アルバムジャケットが目に入る。

 

映画シャイニングのジャック・ニコルソン並みに不気味な笑顔なRichard・D・James

 

流石に恋するかと思った。

 

私はバカなので、大きく心を乱されたら乱されるほどそれを好きになってしまう。

「心が大きく動く=素晴らしい作品=大好き♡♡♡♡」のバカの算数で生きている(これって算数で合ってる?)。

たった5分の曲に魂丸ごと揺すぶられ、脳を直接的に刺激された。

 

そんな曲を作った人物、Aphex Twin大好きすぎるだろ。

 

最高だ、Aphex Twin。てか、恋しちゃったかも。心なしか顔も可愛く見えてきた。大好き。

 

死ぬ前に思い出す走馬灯ソングは椎名林檎トータス松本の「目抜き通り」にすると決めていたが、「Girl/Boy Song」も捨てがたい。

 

薄っぺらすぎるダメダメ人生のまとめにこの曲を思い出して、脳イキしながら人生を終えたいものだ。